津山観光 - 美都グループ | BITO GROUP
津山市城東地区
伝統革新に触れる旅
重要伝統的建造物群保存地区 城東
美都ブランドMAP
新旧の津山の魅力を発信するエンタメ&アートスポット
城東地区において13ある小路のうち『福田屋小路』が『津山美都地区リストワール小路』の愛称が付けられで新たな観光ゾーンとなっています。
『美都津山庵』を起点とした約200mの小路を、稲葉浩志さんの故郷にちなんだ『178津山ファンクラブルーム』や『男はつらいよシリーズの第48作のロケ地』など、津山の粋なものが集まるスポットとして整備されました。
歴史と文化を体験できる古民家ホテルに泊まり、ここでしか味わえない極上のカフェを堪能しながら、歴史やエンタメに触れることができる唯一無二のスポットとして変貌を遂げています。
津山にはまだまだ訪れるべき、知られざる歴史的なお宝が多数眠っています。
また美作エリア全体としても、アートと歴史を探求できる一大ゾーンとなっており、見どころは尽きることがありません。
県内の交通事業者との連携で宿泊付きバスツアーも企画され、県内南北の交流を深め、オール岡山として地域を盛り上げていく動きも活発化しています。
民間の町おこし団体=津山街デザイン創造研究所を核として、津山、そして岡山がSDGs時代にふさわしい地域創生モデルを創生していく全国最先端地域となる志の活動が推進されています。
178津山ファンクラブルーム
稲葉浩志さんの実家「イナバ化粧品店」と、「178津山ファンクラブルーム」はファン必見。
直筆サイン入りのグッズや学生時代のアルバムなどお宝が満載。
「美都津山庵別邸」にご滞在のお客様は無料でご見学できます。
178メモリアルロード
十六夜MAP
ガイドブック
ガイドブック
本プロジェクトを主導する「津山街デザイン研究所」の所長・山本昇氏による著書「小説 早稲田大学」、「小説 岡山県立津山高等学校」には津山の歴史を紐解く内容が詰まっています。
また、稲葉なおと氏の写真集「津山 美しい建築の街」にも津山のフォトジェニックな見どころが満載です。

「美都津山庵 別邸」には、稲葉なおと氏の写真集「津山 美しい建築の街」の表・裏表紙に使われたオリジナルの写真が飾られています。

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小説 早稲田大学
小説 岡山県立津山高等学校
津山 美しい建築の街
津山 美しい建築の街
津山藩は徳川家の「親藩」
260年続いた江戸時代において、約300近くの藩が全国各地に存在していました。
主な江戸百藩のひとつである中国地方の「津山藩」は、全国の多くの藩とは一線を画す「親藩」です。
「親藩」とは徳川家の男系男子の子孫が始祖となっている藩のことを言います。
1698年(元禄11年)、「結城秀康」(ゆうきひでやす)を祖とする越前松平家宗家の「松平宣富」(まつだいらのぶとみ)が十万石で入部したことで親藩となりました。
津山藩は徳川家の「親藩」
城東・城西観光 スポット
 

城東地区

城東むかし町家(梶村邸)
城東むかし町家(梶村邸)
出雲街道が東西に走り、その中に在るのがこの旧梶村邸。江戸時代の後期に建てられた母屋から昭和初期の蔵まで、各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。
全体で梶村家の所有としては8つの建物があります。母屋と離れ、大きな座敷、洋風と和風の蔵、裏の客間(特別室)、茶室、そして洋館です。
1928年に更に7m×34mの土地区画を西側の隣家から購入し、梶村家の所有地を31.5m×34mという現在の大きさに広げました。
母屋は2階建てですが、2階は実際には物置として使用される低天井の屋根裏部屋です。
家の前には小店があり、事務所や店舗として利用されていました。
江戸時代(1603~1867)、この辺りは板を張られていましたが、それ以前には土間(土の床)として放置されていました。
家の東洋建築部分は、江戸後期に建てられ、洋館部分には、明治時代(1868~1912)に、畳の間が加えられ、そして内装は、昭和初期(1930)に修繕されました。
2階建ての座敷は大正時代に建てられ、現在の建物は極めて良好に保存されています。
洋風につくられた東の蔵と家も、また大正時代に建てられたものです。
後世の修繕は増築に限られただけではなく、建物正面や現存する建物の構造の変更をも含んでいました。
石や木の格子細工(組格子・格子構造)は通りに面した元の土壁に付け加えられたもので、更に木製の補強(支え)が屋根の下に配置され屋根を9cmから15cmにまで上げています。
長い時代を通して、母屋は様々な修繕を施され、家は、その元々の形に復元するのは難しくなっています。それ故、必要な修復だけが施されてきているのです。
梶村邸の建築は母屋の建築と共に江戸後期に始まり、洋風の蔵が建てられた昭和初期まで続きました。
様々な増築と修繕は各時代の生活様式の変化を反映し、それ故、梶村邸は貴重な歴史遺産なのです。
箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧家
箕作阮甫(みつくりげんぽ)旧家
1799年(寛政11年)9月7日、箕作阮甫は箕作貞固(三代丈庵)の第三子として西新町に生まれ、1812年(文化9年)戸川町に転居するまでの13年間をこの旧宅で過ごしました。
阮甫は、父・兄の没後家督を継ぎ、藩の永田敬蔵・小島廣厚から儒学を学ぶ一方、京都に出て竹中文輔のもとで医術習得にも励みました。
修業を終えて京都から帰り、本町三丁目で開業し翌年結婚しました。
その後、藩主の供で江戸に行き、津山藩医宇田川玄真の門に入り蘭学の習得に努めました。
以後、学問研究のため三年間江戸詰の許可を得たのです。
いったん津山に帰りましたが、1831年(天保2年)以後は、家族とともに江戸に住みました。
その後、深い教養に加え、持ち前の語学力を発揮して、ペリー、プチャーチンの到来時に外交文書の翻訳に携わり、日本の外交交渉に重要な役割を果たしました。
また、著作に専念し、医学関係に限らず、語学・地理・歴史・兵学等多岐にわたって出版するなど、洋学の発展に寄与しています。
一度は隠居しましたが、幕末の状況はこれを許さず翌年には「蕃書調所教授職」に再度登用され、洋学をもって始めて幕府直参に取り立てられましたが、翌年江戸湯島天神中坂下で没しました。行年65歳でありました。
イナバ化粧品店
  • イナバ化粧品店
  • イナバ化粧品店 イナママ
所在地:〒708-0841 岡山県津山市川崎168
定休日:水・木曜
Tel.0868-26-1018
 

城西地区

建築家 出江寛
建築家 出江寛
松平家菩提寺「泰安寺」に、出江 寛作「銀金・神仏の茶室」を常設!
岡山県北地域・旧美作国から、日本の伝統美から現代美を世界に発信し、年間300万人の誘客を目指す「世界に誇る美作国アートゾーン構想」の実現委員会が設立され、その活動の第一弾として、岡山県津山市において「建築家・出江寛展」が開催されました。
移動が可能な金属製の、究極の建築芸術とも言える「銀金・神仏(かみほとけ)の茶室」を出江氏が製作、令和元年10月25日~11月3日まで城東地区のPORTにおいて世界で初公開しました。
その「銀金・神仏の茶室」を津山の観光スポットの重要アートの一つとして、津山城西地区の泰安寺の奥座敷に常設いたしました。
観光には予約が必要です。
TEL.0868-23-8141(住職 安田大智 Yasuda Taichi)
津山城西地区の泰安寺の奥座敷に「銀金・神仏の茶室」を常設し、新たな観光スポットとなります。
銀金・神仏の茶室
出江寛プロフィール(Kan Izue)
1986年に建築界のノーベル賞と言われるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した黒川紀章に、「名人」とまで言わしめる出江寛の手法は、その鋭い感性と独特の美学が生み出す表現手法にあります。
1931年8月29日京都府生まれ
日本を代表する建築家。日本建築家協会第10代会長。
1957年立命館大学理工学部土木工学科卒業。
1976年出江寛建築事務所設立。
1994年からは大阪芸術大学講師を勤める
松平家菩提寺「泰安寺」
泰安寺
慶長8年(1603)津山藩主として入国し森忠政に従って来た、旧領美濃国の金山・涅槃寺住職、前連社眼誉が南新座に建立した覚王山遺迎院涅槃寺に始まります。
慶長4年(1609)現地に移り、森家四代の後、徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富(初代)が入国し、元禄11年(1698)津山藩主松平家の菩提寺となりました。
妙法寺、本源寺と並ぶ津山三箇寺と称し、諸寺の上に置かれました。
平成22年(2010)津山市指定重要文化財。
平成24年(2012)境内一体が岡山県史跡の重要文化財指定。
  • 津山藩は徳川家の「親藩」
  • 津山藩医 宇田川家 洋学者三代の墓所
  • 運慶作 阿弥陀如来像
  • 出江寛氏作「銀金・神仏の茶室」
  • 狩野宗将作の不動尊蔵の天井画
  • 御霊屋
  • 津山藩医 宇田川家洋学者三代の墓所
    津山藩医 宇田川家洋学者三代の墓所
    津山市を中心とする美作地方は、江戸時代の後期から明治初期にかけて、宇田川家や箕作家をはじめとした日本の近代化に貢献した洋学者を輩出しています。
    当寺に墓所があリます。墓碑は右から宇田川玄随、宇田川玄真、宇田川榕菴です。
    この三代を特に「宇田川三代」と呼び、その功績は明治以降の近代科学の発展に大きな影響を与えました。
     宇田川三代目の榕菴は日本初の西洋植物学書「植学啓原」を著し、シーボルトとは江戸で親しく交流し、「珈琲」の文字をはじめ、「酸素」「水素」「窒素」「炭素」「元素」「金属」「酸化」「試薬」「溶解」「炭酸」「中和」「細胞」「属」「法則」「物質」「圧力」「温度」「結晶」「蒸気」「分析」「物質」「成分」等の用語を生みだしました。
  • 運慶作 阿弥陀如来像
    運慶作 阿弥陀如来像
    泰安寺の奥まった座敷の奥に、鎌倉時代を代表する天才仏師「運慶」作と称される阿弥陀如来像が安置されています。
    向かって右側が中国の「善導大師」。左が弟子の「法然上人」。
    運慶は貞応二年(1150年)生まれと言われています。
    貴族中心の社会、平安時代末期から武士が主権を握る鎌倉時代初期にかけて活躍した仏師で、力強く写実的な作風です。
    東大寺南大門金剛力士像で、運慶や快慶らが中心となって造立した国宝の寄木造りの大作「阿形」「吽形」の二体が有名。
    伝承されている泰安寺の運慶作が真実か否かは不明。また、どのような経緯で津山藩主松平家の菩提寺「泰安寺」に安置されたかも定かではありません。
    そんな天才仏師の阿弥陀如来像が、津山の泰安寺にあります。
  • 御霊屋
    御霊屋
    《天保十三年(1842)建立》
    御霊屋の右側には徳川宗家八代将軍(初代・家康/二代・秀忠/三代・家光/四代・家綱/五代・綱吉/六代・家宣/七代家継/八代・吉宗)の位牌が祀られています。
    そして、御霊屋の左側には津山藩松平家歴代藩主の位牌が祀られています。
    御霊屋は八代藩主斉民の発願によるものでありました。
    御霊屋造営時の地突き工事には、城下の各町から多くの人々が参加しています。他の城下寺院には見られない珍しい例です。
    これらの位牌は、戦時中には防空壕に入れられたため消失は免れました。
  • 狩野宗信作の不動尊堂の天井画
    狩野宗信作の不動尊堂の天井画
    この不動尊堂は天保時代まで津山鶴山城西御殿城内にあり、代々の藩主はこのご本尊を祈願佛として祀り、信仰を深めてきました。
    不動尊堂の天井には江戸時代前期に活躍した狩野派の絵師、狩野宗信の天井画が残っています。
    狩野如林宗信(1802〜1871)享和二年生まれ。狩野如泉の子。名は宗信。はじめ如春と号して後に如林と改め、別号に如山、松甫などがあります。
    十三歳の時に江戸に上がり狩野宗家について画を学び、その傍ら軍学も修めました。十六年間江戸にいて、津山に戻り小役人や御納屋坊主をしていたが、画才を認められ、藩主から狩野姓を許されました。弟子は200余人にも達したといいます。明治四年、七十歳で死去しました。
    この不動尊堂は天保時代まで津山鶴山城西御殿城内にあり、代々の藩主はこのご本尊を祈願佛として祀り、信仰を深めた。その霊験まことにあらたかなものがあるとされていた。
    不動尊堂の天井には江戸時代前期に活躍した狩野派の絵師、狩野宗信の天井画が残っている。
その他 城西観光スポット
  • 作州民芸館
    作州民芸館
    明治42年建築の土居銀行津山支店(国登録有形文化財)
    当時岡山県庁内唯一の建築技師であった江川三郎八が手がけた『江川式建築』の1棟。
    大正ロマンを感じさせるルネサンス調のデザインで厳格な左右対称が特徴となった建物
昭和5年に中国銀行へと変遷し、その後建物は日本塩回送会社、吉井川漁業組合等に所有権が移ったが、平成4年に津山市が取得し、作州民芸館として活用することになりました。
    平成31年4月より、城西まちづくり協議会が指定管理者となり「津山まちの駅城西」として活用しています。
  • 城西浪漫館
    城西浪漫館
    大正6年(1917)建築の中島病院旧本館(国登録有形文化財)
    建築は、大正から昭和にかけ多くの名建築を手がけた、津山の名棟梁 池田豊太郎氏。
    石造風木造2階建て、正面にドームを配し、屋根や窓の細かい装飾が特徴。部屋ごとに異なる材質の大理石を使った暖炉があります。昭和50年頃まで診察に使われており、NHK朝の連続小説「あぐり」のロケでも使われました。
    令和2年4月より、城西まちづくり協議会が指定管理者となり「まちの駅城西浪漫館」として活用しています。